日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

寅さんは香具師?!

公文書の改ざんや嘘をついても法に問われることがないし、追及できない情けない野党。
アメフト問題で嘘と断定したことは、世間から共感を得たのではないか、この国は嘘がまかり通るようになったのでしょうかねぇ。

今回のアメフト問題で年配の当事者は、誰でも簡単にスマホで動画が撮れて、SNSで拡散されることを解っていなかったのではないかなぁー。

スポーツジムで21歳の若者が自撮りで、彼女に花束を渡した動画を見せられた時に、現代の若者ってこんな風に自撮りするのだと、ちょっと驚きましたよー

ここ数年スマホの普及で、誰でも簡単に何処にいてもインターネットを使えることが、凄い速さで世の中の変化に起きているのですね。

           闇市 闇市

世の中の急激な変化は、戦争が終わったときにありました。東京はほとんどの町が灰燼に帰し、ホテルは進駐して来た米軍に接収され、多くの人々は駅や地下道、ガード下で雨露を凌いでいたといわれています。

都会で食べ物を得ることが出来ないので、農家に買出しに行ったり、都市近郊の農民もサツマイモなどを背負って、新橋・上野・池袋や新宿などの駅頭で売ったというのです。

兵隊は日本軍が隠匿していた膨大な物資、乾パンや缶詰・軍靴を兵営から持ち出し、進駐軍からは洋酒・タバコ・缶詰・石鹸など横流しされていたというのですね。

昭和20年(1945)9月に、新橋駅でリックに物資を背負い売り歩いた立ち売りが居たといわれています。

ターミナル駅の周辺は、建物疎開で空き地になっていたので、そこに闇市といわれた青空市が開かれたというのですね。

引揚者や復員兵は闇市で得た品物で一日を生き延び、あくる日はその商いを仕事にして金銭を得たのです。

ここに目を付けたのが戦前から露天商を営んでいたテキヤで、自分たちの出番だと闇市を仕切るようになったのです。

            神農 神農

テキヤの歴史は、中国の神農という薬の神を結束の柱として 「香具師」 と表記し、「コウグシ」 といわれ、江戸のころから 「ヤシ」 と読むようになったそうです。明治以降に香具師は、「的屋(テキヤ)」 といわれるようになるのですね。

寛政の改革の頃に香具師の危機がありましたよ。

香具師は露店で薬種を売るのが本業で、人寄せのために口上や蛇使いなどをしていたが、乞胸支配のからくり・講釈・浄瑠璃・物まね・説教などと重なるので、乞胸支配下にすると云われます。

            寅さん 寅さんは香具師

香具師は浅草寺境内に露店を出していて、浅草寺では他の支配にある者は一切置くことが出来ないという決まりがありました。

香具師はそれを不服として浅草寺に願い出ます。浅草寺は願いを受け入れ、寺社奉行に訴えるのですが、寛政の改革後に漸く、承認されました。

香具師の仕事は昔から 「香具・売薬・愛嬌見世物」 としての自負があったようですね。
将軍が浅草寺に御成のとき、境内で膏薬や歯磨きを売っていた松井源水の曲独楽を、上覧されました。

敗戦後の急激な変化は、闇市だけにとどまらず鬼畜米英に手のひら返しで媚び、それは現代まで続いているのでは。






▽コメント

 

姐さんはスゴーイ
私は復員して三日目新宿のヤミ市へ
何でもあるのに驚きました
そして物の単価が銭ではなく円が通用するのにも。
 茶椀一杯の貝汁が10円・薄く切った薩摩芋が三切れで10円
揚げた饅頭(うどん粉の塊)も10円
会社に帰ってから死ぬ苦しみを、、、機械油
(多分白ヒメ油)でしょー
フライパンが千円・軍装類も一杯ありました。
 ドラマではよく人の流れがでましが、
私の時代は流れではなくあちこちの物による塊です。
 取り仕切るようになって流れが出来る訳です。
11月には東京を離れたので
進駐軍の残飯シチューは知りません
多分美味かったとおもいます。
汚い・臭いはまだ飢えではありませんからね。



 

香具師は口上を楽しむもので真偽を詮索するのはヤボです。
「泣かせ」のフルコースを見た事があります。
サクラが三人程つられて完売でした
昭和27年です。

 

さすが!昭ちゃんですね。
戦後の闇市の実態や香具師のことが実体験としてあるのですねぇ。
ビートたけしが、浅草の香具師の周りにサクラがいっぱい居て、万年筆とか売ってたと話してました。
賭け将棋のインチキは、父から聞いたことがありました。

 

姐さん「万年筆・傷痍軍人(昭和40年まで実在)カミソリ売」
全部「泣かせ」で会社が火事で倒産とか、
ドイツのゾリンゲンのカミソリとか、
賭け将棋・囲碁などサクラが勝のでつい手がでますよね。
 このヤミ市は「アメ横」で初期新宿新橋は露天にじかに並べます。
3・4年あとでしょー
 戦後の過渡期
ハングリー&ワイルドの時代で九州でも同じですよ。
 炭住街でも茶碗売(業界ではワンチヤ)布団売
軽トラに乗せた衣類と面白かったです。
 

 

子供の頃の夜店・縁日も
釘まで切れるノコとか、
ガラスペンで一斗缶に穴を開けたり、
液を入れたら古い乾電池に灯りがついたり
記憶の本を売ったり子供心に手品のように
たのしかったです。
マングースと蛇の格闘とか、
最後までマングースは出ないで薬売です。
あっ!「虫歯抜き」もありましたー(大笑い)

 

昭ちゃん、数年前のベトナムが露店で、虫歯抜きやっているのを
TVで見ましたよー。
傷痍軍人は昭和30年代はじめは、未だ居ましたね。
道端でアコーディオン弾いて、軍歌を唄っていた。
「異国の丘」だったかな?白衣と軍帽が怖かった。
ゾリンゲンは売っているのを見たのか?話で聞いたのか?
遠い記憶に残っていますよー

 

  姐さん話が弾むついでに、、、、
[放浪芸]もその一つでしょうね、
正月の「門付漫才」など見ていますからね。

 

昭ちゃん、門付け漫才は知らないけど、2才か3才のお正月におかめの面が来たのです。
父と二人だった様で、父に「おかめちゃん又来る」と何度も聞いていた記憶が鮮明に残ってます。
昭和20年代の終わり頃ですね。

 

  姐さんそれからそれえと思い出し笑ってくだされー
九州にくる4日前まで東神奈川の米軍基地で働きました。
荷揚げ仕事だから倉庫内はレーション(所謂ミリ飯)ですね、
缶詰類は釘と石であけます。
 砂糖をポケット一杯詰め込みましたが悲しいかな
軍服の解れから歩くたびにこぼれてしまいました。
「グラニューム糖」との出会いです。
 

 

昭ちゃん、どんどん思い出して、戦後の混乱を教えてね。
姐さんの記憶は、30年代だから20年代のことを生きた、本物が知りたいですよー^ ^

 

亡くなった作家の藤本〇一さんも
子供ながらチャリンコで活躍したとか、
進駐軍要員は20・10・1の新聞から連日緊急募集で
特種要員は女性ですね。
一日10円米一合ですがピンハネで七勺
一週間支払いなので今でも未払い分の金券は博物館にあります。
 私は17職種就業禁止令で昭和19年1月軍需工場に配転
6月から気球隊ですが終戦1ヶ月後の退職金が150円前後だったので
(1年8ヶ月分)
戦後の闇値が円なのでインフレが想像できると思います。
東京から北九州「折尾駅」まで33円でした。
公共料金と闇値は随分異なりますからね。

 

昭ちゃん、姐さんは昭ちゃんの回想を興味深く読んでます。
女性の特殊要員は、歌謡曲の「星の流れ」ですね。政府も酷いことを考えたものです。
150円の退職金は、かなりな金額だと思うのですが…。

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  姐さん
20・11・25日には九州の炭鉱にきたので
労働運動史やいろいろな流れを見てきました。
そして「やっぱりねー」が結論です。

 

昭ちゃん、「やっぱりね」が知りたいなぁー

 

最初の一枚は拡大すれば場所が解かりますね、
左上の長い窓は上野駅の正面でしょー
御徒歩町のガードも見えています。
屋台状のテントなので終戦から4・5年あとで
人の流れで解かります。

 

 姐さん短絡する人がいるのでメールで送りましょうね、
笑話はここで、、、。

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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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