日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

憲法?!

昨日は憲法記念日でしたね。首相は改憲を念願してますが、メディアの改憲世論調査によれば、昨年は改憲と反対が拮抗していたのが、今年は反対の方が多くなっています。

昭和20年(1945)8月15日 幣原喜重郎は、外出先で玉音放送を聞き自宅への電車に乗りました。

車内で男が 「一体君は、こうまで日本が追い詰められていたのを知っていたのか。なぜ戦争をしなけらばならなかったのか。俺たちは知らん間に戦争に引き入れられて、知らん間に降参する。怪しからんのは我々を騙し討ちした当局の連中だ」 と叫び泣き出しました。
乗客も 「そうだ、そうだ」 と騒いだのです。

          幣原喜重郎 幣原喜重郎

このとき幣原は70代で、政治の表舞台を退いていました。戦後直ぐの内閣は皇族の東久邇宮稔彦王で、8月17日に任命されますが54日後に総辞職をし、幣原に組閣が命じられます

この時は大日本帝国憲法下で、首相指名は天皇がしていましたよ。
昭和天皇の首相指名で、終戦時の鈴木貫太郎とこの時の幣原喜重郎の指名は、絶妙だと思いますね。

この時代の人たちは国民も含めて、天皇制の存続は守らなければならないと考えていました

一方、連合諸国や米国内に於いては、天皇制を存続させると再び軍国主義と結びついて、日本が世界平和を乱しかねないとの認識があり、天皇制廃止論が根強かったのです。

天皇の名において戦争をした日本に対して、天皇制を廃止することを多くの国が主張していました。天皇制が封建制の遺物で、反民主主義との見方をされていたのです。

首相になった幣原に終戦の日の電車の光景が浮かびます。そして、未来永劫あのような戦争をしないようにし、政治のやり方を変えることを決心しますが、天皇制の存続だけは守らなければならないと考えていました。

「他の点はどんなものでも、日本が独立を回復した暁に自分たちで変更することが出来る。しかし皇室だけは一旦壊したら取り戻すことが出来ない。全てを犠牲にしても、天皇制の存続だけは守らなければならない」 と幣原は思っていたのですね。

「天皇制を認めさせるには 「戦争しない国」 であることを表さなければならない。そのために新憲法に戦争放棄条項を書き込み、世界に向けて 「戦争をしない国」 を表明するのが最適である。戦争を放棄し、軍備を全廃して、民主主義に徹する」 

          マッカーサー マッカーサー

幣原は天皇制の護持と戦争放棄を同時にマッカーサーに提案することを考えていましたが 「第9条のようなことは日本側から言い出すようなことは出来るものではない。国体に触れることなので、天皇の問題に至っては尚更であることから、日本側から口に出来ない。GHQの命令として出してもらう決心をした」 と死の2週間前に秘書に話しています。

幣原は流暢な英語で、マッカーサーと通訳を入れずに話をすることが出来ました。

マッカーサーと幣原の最初の会談の時に、憲法に戦争放棄を明記することを提案したと、マッカーサーが幣原の死後、米国議会で話しています。

幣原は戦争に対して 「原子爆弾というものが出来た以上、世界の事情は根本的に変わった。世界は真剣に戦争をやめることを考えなければならない。そして戦争をやめるには武器を持たないことが一番の保証となる」 という考えを持っていました。

幣原は、天皇制護持を得るために戦争放棄を明文化することを考えたのですね。

知日派のグルーはポツダム宣言の草案に天皇制の護持を書き込み、マッカーサーは日本統治には天皇と官僚を利用することを考えていました。

ポツダム宣言では、天皇制護持が削除されたために日本の受け入れが遅れ、広島・長崎の悲劇やソ連の参戦を生むことになったのです。

その後の冷戦下での朝鮮戦争勃発時に、GHQの要請で自衛隊の前身警察予備隊が創設され、米国は日本を共産主義の橋頭堡と考え、サンフランシスコ平和条約締結時の密約で、安全保障条約を締結しています。

GHQが憲法の日本政府試案を退けて、マッカーサー草案を押し付けられたかもしれませんが、日本政府はそれを検討し修正して決定したのです。

新憲法発布時に、国民はこの憲法を大歓迎したといわれています。








▽コメント

 

 その後宮様は宗教活動に入ったと
思いますが、、、
戦後の過度期
ワイルド&ハングリーが昭和30年代まで
つづきますね。

 

昭ちゃん、一億総懺悔と言いましたね。懺悔の為に宗教かなぁー
戦後は終わったと云われる様になったのは、30年代半ば頃だったでしょうか?
子供心に残っています。

 

鬼畜米英に負ければ
「全ての男は去勢され女性はアメリカに連れて行かれる」っと
負けました。
「戦争を始めた軍閥とそれを後押しした財閥が悪いので
民衆は我々の敵ではない」
天皇制どころか驚きましたね。
 アメリカ製の「自由酒民主酒」の美味かったこと、
あとから効く二日酔いも知らずに、、、、。

 

昭ちゃん、バクタンというお酒もあったのでしょ。メチールアルコールも呑んだとか。
ヒロポンも軍隊で使われていて、戦後は一般人も簡単に入手出来たのですよね。
勝つと思っていた戦に負けて、国民の気持ちは安堵と共に荒れり、戸惑ったり、怯えたでしょうね。

 

ヒロポンは残業続きには飲みましね、
小粒で白く苦い錠剤です。
隠匿物資が戦後流れ友人も中毒で亡くなりました。
 同窓会で聞いた話です。
メチールアルコールは航空用燃料と思います。
「猫要らづ」もマッカリに使用したとか、、、

 

姐さん
マッカーサのトレードマークがこの「コーンパイプ」で
有名な言葉は比島から脱出時残した言葉
「アイ シャル  リターン」ですね。
GHQで座った椅子に、、、
足が全然床にとどきませんでした。

 

昭ちゃん、マッカーサーの話はおっしゃっる通り有名ですね。
椅子に足が届かなかったとは、大きな人だったのですねぇ。
マッカリに猫いらずの話は、驚きました。
人殺しもなんでもありの時代ですが、30年代にテレビの番組で「指名手配」があって、犯人の写真が軍服姿だったのが、未だに残像としてあります。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

▽トラックバック

http://edosanpo.blog109.fc2.com/tb.php/1655-d90a0da6

 | HOME | 

プロフィール


日向ぼっ子

Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


最近のコメント



最近の記事



カテゴリー



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム


この人とブロともになる


ブログ内検索



RSSフィード



FC2カウンター



リンク


このブログをリンクに追加する