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日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

戌年?!

家康の息子の結城秀康と父の広忠、平清盛、木曽義仲、加藤清正、今川氏真、後藤象二郎、中岡慎太郎、岡田以蔵、山縣有朋、大隈重信、森鴎外の共通点は、戌年生まれ。

徳川15人の将軍の内の戌年生まれは、5代の綱吉だけですよ。

      綱吉 綱吉

綱吉は悪法と云われている 「生類憐みの令」 を出し、犬公方と云われてましたねぇ。
「生類憐みの令」 は、一つの法令でなく、24年間で135件も出された法令の全てを一括りにしたものです。

「生類憐みの令」は、継嗣のいなかった綱吉の母の桂昌院が、依存していた僧 隆光の助言により出されたというのが通説ですが、貞享2年(1685)の最初の発令時に隆光は江戸に居なかったというので、この話は信憑性が低いといわれています。

「生類憐みの令」は、大名家で飼っている鷹狩用の犬が逃げ出し町中が危険な状態になるために、犬の登録を定めたことが始まりだったというのです。

綱吉は儒教を重んじていたので、弱い者を助ける気持ちから、世情に於いて捨て子が多かったので、捨て子の保護を役人に命じたり、牢屋の囚人の待遇を改善したりと福祉を考えていたのです。

綱吉が発する法令は、武士である役人に負担が多く、受け入れ難い法令であったことから、老中たちが骨抜きの法令にするために、下級役人から庶民への通達は、捻じ曲げられたものになったという説がありますよ。

綱吉は3代家光の四男として生まれ、兄の4代家綱には継嗣がなく、家綱の直ぐ下の弟に甲府宰相の綱重いましたが家綱より先に亡くなったので、綱吉が5代将軍になったのですね。

        れい姫 狆を抱える姫

元禄4年(1691)江戸参府したケンペルは、綱重の死について 「綱重が所領の加増を願い出て家綱は了承したが、大老 酒井忠清が反対し、家綱は逆らうことが出来ず、綱重の加増は許されなかった。綱重はこの一件が世間に露呈し、兄 家綱の権威が揺らぐことを怖れ、自刃した」 と長崎のオランダ人が書いたものから知ったというのです。

綱重の死に対して、姉 尾張光友の正室 千代姫と弟の綱吉は激怒し、復讐を誓ったといわれ、綱吉が将軍になると忠清は失脚させられました。

忠清は家綱の後に綱吉ではなく、有栖川宮幸仁親王を将軍職に就けようと画策して敗れたために失脚し蟄居しました。蟄居後に綱吉は忠清邸に食料を運び込むこと禁じ、忠清は家族や家臣の餓死を避けるために自刃したという話もあります。

綱重の死に対する復讐なのか、自分を排除しようとしたことへのものだったのか?大きな権力を握った者に対して、将軍に権力を戻すためだったのではないか。

犬は古代から人間と共生していたといわれ、聖徳太子は会話が出来る犬 雪丸を可愛がっていましたよ。江戸城の大奥女中も狆を愛玩していたのは有名ですね。

戌年は 「犬が笑う」 で株価が上昇とか、今年はどのような年になるのか?穏やかな年になると良いのですけど・・・。






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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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