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日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

愚かと賢さ?!

相撲のニュースを聞く度に、相撲協会・横綱審議会・評議会・会友といわれる相撲記者が高齢にも拘らず、発言に愚かさを感じてしまいます。

高齢者は経験に応じた賢さがあるからこそ、若者に対して論じられると思うのですが・・・。

日米戦が始まると米国は、戦後世界のあり方について研究をはじめました。10名ほどの日本を知る人物に、民間や陸海軍が日本語や日本の風習等を教えてくれと連絡をしたというのです。

日本では敵国だから敵性語だからと拒絶したのとは対照的に、敵を知らなければ勝てないと考えたのですね。

   国会議事堂周辺
    1945年11月の国会議事堂周辺

そして、戦後の日本処理について6つの方向性が示されました。これは現代に通じるものではないかと思えるのです。

1 「国家壊滅・民族奴隷化論」  日本は存在する限り悪をなすから、国家を壊滅して民族を奴隷化しなければ駄目だ。

世論調査では、米国民の3~4割が支持していますよ。

2 「隔離・放置論」 日本は島国であり、他国民と緊密な関係を必ずしも持たない孤立した集団であるから、隔離することは比較的容易である。

この意見を受け入れる者はほとんどいなかった。

徳川末期の3千万人の人口なら貿易なしで養えるが、あとの4千万人に死ねというに等しいというのですが、当時の人口が7千万人だったということですね。

因みに、この戦争で命を落とした日本人は、軍・民間合わせて300万人とのことです。

3 「介入変革論」 長期にわたる占領管理を行い、日本国内の誤れる思想の絶滅を図る。米国が介入して、教育・思想、憲法や社会制度を民主的で平和な社会に作り変える。

但し、憲法9条の戦争放棄を占領軍に提案したのは、当時の日本の幣原首相だったといわれてますね。

4 「日本帝国の温存論」 将来アジアに於いて中国やソ連が強くなると考えられるので、中国やソ連に対抗する力として日本帝国を弱体化せずに温存して置く。

中国が共産化されるとは考えていなかったようですが、中国・ソ連の台頭は予測していました。又、朝鮮戦争が勃発すると、米国は警察予備隊と海上保安庁の設置を要求しますが、吉田首相は戦争を嫌悪していた国民感情と経済面から抵抗しました。

5 「介入慎重論」 天皇制を含む日本の現行制度を尊重し、穏健派と思われる日本人に米国の目的を告げ、どのような政治を行えば、米国の信頼と敬意を受けることが出来るかを知らせれば十分である。

この時点で穏健派と目される政治家は、75歳の若槻礼次郎だけだったと云われています。

6 「積極誘導論」 自由主義的改革に天皇制のマントを着せる。大胆な改革を行うために日本の伝統的権威の名において行わせる。

天皇制を廃止したり、辱めれば、日本の行政官や国民は決して占領軍に心を許さず、ゲリラやサボタージュが続き、占領政策は無茶苦茶になるだろうと判断されていた。

   新橋駅
    1945年11月の新橋周辺

この6点から 「国家壊滅・民族奴隷化」 「日本帝国温存論」 は分別を欠く極論として斥けられ 「介入慎重論」「隔離・放置論」 も消えて行き 「介入変革論」 「積極誘導論」 の対抗と妥協により対日政策論が詰められたといわれています。

米国に於いて一番の問題は、天皇制でした。天皇を廃して米国のような共和制にするか、天皇の大権を廃し英国のような君主制にするかと議論されたのです。

米国は昭和18年(1943)2月ガダルカナルでの日本撤退を機に、怒涛の如く反攻をはじめ日本を追い詰めて行きますが、この時点で既に勝負あったと云われていますね。

米国の凄いところは、戦争を始めた時期の知日派は10名ほどで、その内日本語が話せる者は、更に少ない人数であったにも関わらず、終戦時には5千人の日本語を話せる軍政要員を作り上げています。

勝つことを前提として、あらゆる角度から日本を見ていた米国に対して、日本の戦略は稚拙であり、現代でも占領時の残滓があると思えるのです。

この歴史から戦後の私たちは何を知り、日本は何を学んできたのでしょうか?








▽コメント

 

イギリスでも日本語の勉強には奨学金を出していますし(英誌)
日本は大和魂まで戦力に計算していますね。
 九州にきて古老から聞きました。
海岸に鉄条網を巡らし大砲に見立てた坑木を並べ
「鉄壁の布陣」に駆り出された人の話を、、、、。

 

昭ちゃん、日本は大和魂と神風頼みでは、勝てるわけがないですねぇ。
お寺の鐘や個人の金属類まで供出させられて、島国の海岸に
鉄条網を張り巡らすとは、笑止なことですね。

 

敵が上陸すれば地の利はこちらにあり、
補給線の延びた敵に鉄槌を加える
好機だとさ。

 

昭ちゃん、迎え撃つ武器が竹槍で、屈強な若者は戦地に、
残っているのは婦女子が多かったのでは??
軍人は一億玉砕の徹底抗戦を考え、天皇は日本民族を残すことを考えた。
明治政府が天皇を戴いた価値は、ここにあったのかも。

 

山手線の内側は全てこんな状態でしたね、
神保町や下町で戦前が残っているのは風向きがか
変わりますからです。
 戦後すぐB-29が超低空で飛来
連日空襲の状態を空撮しました。

 

昭ちゃん、10年ほど前まだ江戸も歴史も知らない頃に
「千住の空襲展」開催のために、歴史に詳しい人と二人で、
資料や写真を集めた時に、千住のヤッチャ場から上野
まで見えたと聞き、三ノ輪、入谷は焼け野原だったと知りましたよー

 

姐さん六本木から目の前に議事堂が、
驚きました。

 

姐さん足立区も結構焼けていますよ、
必要ならいつでも送りますよ。

 

昭ちゃん、ありがとう!!
昭ちゃんが送るのは大変だし、これ以上迷惑は掛けられないですよー^^

 

 とんでもない
姐さんのお蔭で全て再確認しているのですよ、
本土の初空襲は17・04・18日の「尾久」
「なんか田舎に落として、、、」こんな時代です。(笑い)

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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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