日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

築山殿とは?!

夏が終わると秋は駆け足で、今年もあと2ヶ月になってしまいましたね。雨ばかりだった10月は、1週毎に4回も悲しい話を聞くことになり、憂鬱な月になってしまいました。

ヒナより1歳上の一時期同僚だった女性が亡くなっていたことには、驚愕しました。病も事故も突然来るのだけど、年齢が近い人だとダメージは、ボディブローのようにジワジワと来るものです。

人の死は辛いものですが、自分の命令で妻と子を殺すことになってしまった家康の心は、どのようなものだったでしょうねぇ。家康に殺害された正室築山殿には謎が多いといわれています。

通説では、築山殿は駿河国瀬名郡主 関口親永の娘とされていますね。

ほかに井伊直平の孫娘が今川義元の娘分として、家康の元に嫁いだという説があります。井伊直平とは、大河ドラマの直虎の曽祖父ですよ。

築山殿は美人との史料があり、家康は今川家で厚遇されていたので、家柄も容姿も良い女性を妻にあてがわれたといわれています。

          築山殿 築山殿

築山殿が娘を生んだ頃に桶狭間の戦いがあり義元が討ち取られ、息子の信康と親子三人は人質として駿府の今川氏のもとに置かれたのですが、家康は妻子に構わず織田信長に接近して行きました。

見かねた家康の家臣が、甲賀忍者に今川の親類を急襲させ、親類の子供を二人生け捕り人質交換を迫ると、築山殿の実家の関口氏は義元の後継者 氏真に 「子を返してやれば家康は恩を感じて、今川方に戻る」 と口添えし氏真は人質交換をするのですが、家康は築山殿親子が戻されると、益々織田方に付いて行きました。

          築山殿霊廟 築山殿霊廟

築山殿は瀬名姫ともいわれていますが、駿河国瀬名郡主の関口氏は後年 瀬名と改称していますよ。子孫には大田南畝と 『瀬田問答』 を著した、御右筆所詰布衣 御役料百俵の瀬名源五郎で、しきたりの専門家だったというのです。

『瀬田問答』 には南畝が、将軍の束帯姿の時に小便筒を持つ役目の公人朝夕人(クニンチョウジャクニン)の役職を訊ねたと書かれていますが、公人朝夕人は南畝の時代になると将軍家でも無用の役職になっていたのですね。

築山殿の呼称は家康が信長に接近し、今川系の女であった瀬名姫が、岡崎城外の築山御殿に隔離(一説には軟禁)されたときの蔑称で正室は 「〇〇御前」 といわれるので、築山殿は格下の呼び名だというのです。

徳川の正室の伝記に 「築山殿は今川義元の養女にて、実父は同国瀬名郡主関口刑部大輔娘也。依て駿河の御前とも云」 との記述があるので、駿河の御前と呼ばれていたのかも知れませんね。

憂鬱な月で終わって、11月は楽しい話が聞けると良いのですが・・・。






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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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