日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

開戦へ?!

ブロ友の昭ちゃんから、戦後直後の新宿ヤミ市は無警察状態だったので、ヤクザの尾津組が仕切っていたことを教えて貰い、戦争の原因を書いてとも言われました。原因は軍部の横暴ということだけでなく、様々な要因が重なっています。

明治政府は、王政復古を掲げ殖産興業・富国強兵を標榜し、欧米列強に追い付く政策を進めて行きましたね。日清・日露戦争で満州の権益を手に入れ、満州へ資金も人民もつぎ込んで行くことになります。

       ルーベルト開戦時演説 ルーズベルト開戦時演説(昭ちゃん提供)

第一次世界大戦後の日本では、大正デモクラシーが起き民主主義の萌芽が見られましたが、関東大震災・軍縮に加えて、東北地方では冷害による凶作と三陸地震が発生し、国民は不況に喘えでいたのです。

昭和6年に満州事変が起こり、翌年海軍の青年将校を中心に軍閥内閣を樹立し、国家改造を目的に5・15事件を起します。5・15事件後は、政党内閣ではなく海軍大将が組閣することで、軍部の力が増すことになってしまいます。

米国では、日露戦争の仲介をセオドア・ルーズベルト大統領が担ってくれたのですが、日本国民は日露戦争の賠償に不満を持ち日比谷焼打ち事件を起こします。それらのことから排日運動が起こり、米国の仮想敵国は日本となって行くのですよ。

米国は日本に黒船を送り、開国を一番にしたにも拘らず、南北戦争によってアジア進出がヨーロッパ諸国より遅れることになり、日本の満州事変以降の行動に口を挟むようになります。

日本は米国との貿易が、日本の統治下にあった満州や台湾に比べ遥かに大きく、鉄鋼や石油の輸入も頼っていたのですね。

満州事変後の盧溝橋事件を発端にした日中戦争とヨーロッパでのドイツのフランス・オランダとの対戦で勝利したことで、無主のなった仏印・蘭印へ日本は進出します。南進政策に対して輸出禁止を強化します。

         東条英機 東条英機

戦前10年間 駐日大使だった米国のグルーは、政府に対して 「日本をあまり追い詰めてはいけない、絶望的な心境の中で 『民族的ハラキリ』 ともいうべき自殺的戦争を敢行しかねない」 と警告しますが、政府は負け戦を分かってやる国などないと反論し、日本対して強気な姿勢を崩しませんでした。

一説には、フランクリン・ルーズベルト大統領(セオドア・ルーズベルトは姻戚)は、ヨーロッパ戦線に参加したいが国民の支持を得られず、日本を挑発したともいわれていますが、一因にはあったかも知れませんね。

明治42年(1909)に公布された新聞紙法によって新聞は検閲対象でしたが、大正時代までは露骨な言論統制は少なく、軍部の政治に対する発言力が増したことにより、政府や軍の批判記事を掲載することが難しくなって行きます。

言論弾圧を受けたマスコミは、国民には偏向した情報を流し、国民感情は戦争へと煽動されて行きます。

ジャーナリストの石橋湛山(戦後 総理大臣)や菊池寛は戦争に反対意見を述べていますが、日本中が弱腰の意見を誹謗します。永井荷風や坂口安吾のように一貫して反対意見を持ち続ける人もいましたが、多くは声を潜めてしまいますね。

昭和16年(1941)11月26日 米国はハルノートといわれる国務長官の日本の全面屈服を意味する最後通牒を送って来ました。

そのひと月前の御前会議で日米戦の議論がされ、結論が先延ばしにされると、近衛文麿は内閣を投げ出し、その後に東条英機が首相兼陸相となり12月1日に開戦が決定されます。

開戦前に陸海軍・各省・民間から選ばれた人たちが、兵力・経済力・国際関係等あらゆる観点から日米戦を分析して 「日本必敗」と結論を出すのですが、東条は 「机上の演習であって、実際の戦争は違う」 と応えます。
 





▽コメント

 

姐さんよろしくね、渦中にいると大局が掴めません。
原因が結果を産み結果が原因を作りますね。
軍国少年の合言葉は
「日本の生命線は大陸にあり」です。

 

昭ちゃん、満州が日本の生命線とは、軍部の陰謀ですね。
ブログで書かなかったことを別途に・・・。
降伏への道程にも、腹立たしいことばかりで、米国は
原爆実験をしたかったので、降伏文章の提示を遅らせてますね。

 

姐さん話が前後しますが
私もヒロポンの小さいビンを持っていました。
戦後「隠匿物資とか・摘発」こんなことがあちこちで、、、
昭和23年頃までかなー
 密かに隠し大儲けした友人・倉庫係
 大学受験で中毒で死んだ友人もいます。(同窓会話)
列車内の傷痍軍人や祭りに登場する軍人も昭和42年ごろまで
いましたよ、  ワイルドだぜー  スギちゃんのセリフで、、、。

 

昭ちゃん、子供の頃に近所の若い女性がヒロポンを
打っていたと、警察沙汰になっていたことを親が話してました。
ヒロポンも戦争の後遺症ですねぇ。
汚れた白く短い着物のようなものと白い汚れた軍帽を被った
傷痍軍人はよく見かけました。子供心には恐怖心を持って
見ないようにしてました。

 

 ヒロポンは小粒で苦い記憶です。
「傷痍軍人」
昭和30年代登山で日豊線に乘ると
白衣にサングラスとアコーデオンを持って車内を一巡
次の車両に、、、まあ真偽のほどは不明で香具師の一種かも、
 戦時中は赤坂に第一陸軍病院がありました。
 

 

昭ちゃんもヒロポンを試飲したことがあるのですか?
市販されていて風邪薬のように、誰でも購入できたのですね。
傷痍軍人といっても本物でなく、香具師だったかも。
混沌とした時代を昭ちゃんも生き抜いて来たのねぇ。

 

その道の言葉で「泣かせ」の一部始終を
昭和28年取り巻きに混ざってみていました。
お見事!!です。
戦前からある「泣かせ」は
「会社が倒産して帰る旅費の工面に、、、」とか
「会社が空襲で、、、」
これは夜店でよくある商法です。

 

昭ちゃん、「泣かせ」ピッタリの隠語ですね。
傷痍軍人までも金の手段だったのとは・・・。

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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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