日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

72年目の夏?!

猛暑の後 急に涼しくなり、ヒナの体調を気に掛けて会社の後輩が、メールをくれたのは嬉しくありがたいこと。ヒナはこの2週間 早朝からゴルフの松山君をTVやネットで追っかけていましたよー

今夏は、おかしな気候が続いますが、敗戦の年の8月はどんな夏だったのでしょう。現在の世界を動かしている大統領も首相もその夏を知ることもなく、戦争が終わってから生まれた人ばかりですね。

故田中角栄元首相は 「戦争を知っている世代が政治の中枢にいるうちは心配ない。平和について議論する必要もない。だが、戦争を知らない世代が政治の中枢となったときはとても危ない」 と新人議員に薫陶していたというのです。

角さんの予言通りの展開が東アジアで起こりそうな流れがありますねぇ。

日本には何度か外部からの文化が移入され、日本人はそれらから発展させたものを作り上げて来ました。大和朝廷の時代には中国から、黒船以降の近代には西洋から、戦後の占領下では米国の民主主義が今までの日本の観念や思想を大きく覆しました。

         天皇とマッカーサー

マッカーサーは終戦から半月後の8月30日に、連合国総司令官として厚木に降り立ちます
開戦時フィリピンで日本軍に苦汁をなめさせられたマッカーサーは、この国に君臨し支配することに対して、優越感で一杯だったと想像出来ます。

マッカーサーが離日するとき、人々は熱狂的に彼の離日を惜しみ、マッカーサー神社まで建立しようとしたのですが、戦後の日本人にとってマッカーサーは、どれほど偉大な人物だったのでしょう。

昭和20年9月27日 昭和天皇は、はじめてマッカーサーを訪問します。マッカーサーは天皇を出迎えることはせず、ネクタイも締めない略式の軍服で、モーニングの礼装姿の天皇と面談します。

マッカーサーは、面談で天皇が命乞いをすると思っていました。天皇は挨拶の後 「国民の戦争遂行にあたっての決定・行動に対する全責任を負う者として、あなたの代表する諸国の採決に委ねる」 と言います。英語では 「You may hung me」 と。

天皇とマッカーサーの会談はこの回を含めて11回極秘に行われ、一切外へは出さないと約束されたのですが、後年 マッカーサーが回想録に書いたり、今上天皇の家庭教師をしたヴァイニング夫人の日記や通訳のメモから少しづゝ分かって来ています。

占領下の日本を作ったのはマッカーサーや米国の意向だけではなく、天皇とマッカーサーの会談であったかもしれないのですよ。

天皇は子供の時から軍人として鍛えられていましたから、戦術的・戦略的な目は特に秀でていたというのですね。

天皇は、ソ連のアジア進出で共産化された中国や朝鮮の一部が、台湾や日本へ及ぼす影響を懸念し、朝鮮半島での戦争を予想していたというのです。

当時の日本国民の95%は、天皇制を支持すると新聞などの調査では示されています。

昭和21年10月16日に3回目の会談があり、その10日前に新憲法が国会を通過して成立していました。

天皇は憲法成立によって民主的新日本の基礎が出来たのは、マッカーサーの一方ならぬ指導の賜物だと感謝します。マッカーサーは、陛下なければ憲法もなかったでしょうと返答します。

天皇は、戦争放棄を大理想に掲げた新憲法に忠実であるが、激動する世界情勢では非常に危険ではないかと不安を口にします。マッカーサーは、戦争をなくすには、戦争を放棄する以外にない。日本が実行すれば、50年後に日本が道徳的に勇敢かつ賢明であったことが立証されると応えました。

その後の会談でも、天皇が軍備撤廃に対する安全保障を問うと、マッカーサーは 「アメリカは日本を守ることカルフォルニアを守るが如く」 と言ったといわれています。

11回の会談で、国民の飢餓の救助を願い、憲法・安全保障・米国の駐留問題と二人は、現代に続く話をしています。

有名な昭和天皇とマッカーサーのツーショット写真が新聞に掲載されると、米国の軍門に下ったと悲憤慷慨し、5年7ヶ月後にはマッカーサー神社を造ると熱狂した日本国民。

帰国後のマッカーサーが米国上院で 「アングロサクソンやドイツ人は文明的に壮年期であるが、日本は12歳の少年だ」 と証言したことで、日本を侮辱したと怒り、神社建設は消滅したそうです。

第二次世界大戦から72年 マッカーサーが理想とした戦争はなくならず、愚かな子孫たちは新たな破壊への道へ突き進むのでしょうか?






▽コメント

 

 角栄さんはノモンハンに初年兵で参加消耗品ですね、
私はホー助・補充兵と呼ばれ2ヶ月帝都防衛に、、、
米兵もG.I.(官給品の略)みんな消耗品でした。
 15日暑い記憶より、、、
工員さんは「力が足りなかった」っと泣いていました。

 

昭ちゃん、角栄さんはノモンハンだったのですか。
これもムダな戦いでしたね。
300万人の日本人が命を落としてしまった戦争でした。
暑い日と共に悲しい戦いを忘れては、いけないですよね。

 

 戦争になったもろもろの原因は、、、
国が一定の方向に向くときはすべてが向かされるのは
日本だけではありません。  

 

昭ちゃん、戦争の原因は色々なことが重なって起こりますが、
戦争を好む指導者も居るのですよね。
現代は3人居ると思ってます。
経済の行き詰まりもあるので、現代も危険な状況ですね。



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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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