日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

騒がしい女?!

年1回会う仲間がいます。30数年前にサウジアラビアで仕事をしていた彼らと、日本から支援していたヒナとは長い付き合いが続いていますよ。この仕事は、受注から竣工まで色々なことがあったので、会うたびに同じ話題でも面白おかしく話が続きます。

この夏は、女性が大活躍ですねぇ。

政界の右も左もトップの仕事をしていた女性が辞職、還暦オバちゃんのSNS騒動、不倫の議員の酷い言い訳と、日々色々なことがありますよね。

ヒナたちの時代の女性の仕事は、男性の仕事をサポートすることでした。

今は女性も第一線で男性と肩を並べて仕事をするようになりましたが、女性の社会進出の歴史が浅いので男性のように、ある意味の基本が出来ていないような気がするのです。

自分の進退について相談したり、仕事で攻められ涙を見せる女性は、ちょっと。

     大奥女中

ある貧しい旗本の女房が、提灯張りや煙草盆作りで家計を支えていました。

夫は博打好きの道楽者で、ある日旗本の奥方との不義が露見して、二人で出奔してしまい、御家は断絶となってしまいましたが、女房はわずかな伝手から、大奥の祐筆になることが出来たのです。

彼女は、才気煥発で多芸多才だったようで、時の10代将軍家治の側室 蓮光院に気に入られ、トントン拍子に御年寄に出世しました。

只野真葛著 『むかしばなし』 によると 「博打うちの女房ほど抜け目なきものはないというを、勝れし才人にて、何を見ても目のさやが外れ 心が黒かりし故 ぬけ出でしなるべし」 というのですね。

         むかしばなし只野真葛

大奥での名前は 「玉沢」 と言い、老中でも遠慮する程で 「天下を動かせし才人」 と評されるほどの権勢を持っていました。娘を彼女に預けた大身の旗本もいたというのです。

「飛ぶ鳥もおつるほど」 の羽振りの良さでしたが、寛政元年(1789)公金の不正貸付に関与したとして、松平定信から御年寄を罷免されてしまいます。 

奥女中であるにも関わらず、分を越えて表の政治や権益に介入したことは 「重々不調法之事」 とされたのですね。

御年寄の職は剝奪されましたが、引き上げてくれた蓮光院が病で臥せっていたので、女中として看病に当たるように仰せつかることになりました。

「格別之訳を以て」 俸給も従来通り支給されたというのですが、定信は大奥の反発を恐れて手心を加えたというのですよ。

今も昔も人間関係大した変化はないのでしょうねぇ。







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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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