日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

暑くて、暑くって!!

暑くってPCを開く気が起きないし、文章を考えるのもムリ~。

一昨日は暑い中びらグルメで富士へ、と言っても高田富士ですけどね。

      都電
      早稲田へは町屋から都内唯一の都電で行きました

毎年7月の2日間早稲田の水稲荷神社の境内にある富士塚に上ることが許可されています 富士塚は、あまり大きなものではないですよ。

富士塚は江戸時代に始まった 「富士講」信仰に於いて、富士山に直接詣でることが出来ない人のために、富士山を模した富士塚が造られ、登ると富士山登攀と同じご利益を得られるといわれたものですね。

  高田富士1   高田富士

高田富士は、食行身禄の弟子 高田藤四郎(日行青山)が、 安永9年(1780)に江戸ではじめて築いたものといわれています。

現在の水稲荷神社の隣には甘泉園という庭園があり、江戸時代には御三卿の清水家の下屋敷で、明治になり相馬子爵邸の一部だった場所です。

     甘泉園 甘泉園

水稲荷神社と甘泉園は、ちょっと荒れ果てているので、もう少し整備すれば良い憩いの場所になるような??

富士塚登攀後は、高田藤四郎の墓所がある宝泉寺と穴八幡宮へ行きました。途中馬場があった場所を確認して、早稲田大学南門から大学構内へ大隈重信像を横目に、宝泉寺へ。

      大隈重信像

宝泉寺は江戸時代に、はじめて富くじが行われたともいわれていますよ。文化13年(1816)には寺男の伝蔵が、畑を広げようと寺内を掘り起こすと小判が出て来たという話もありますね。

宝泉寺の方の話では、日行の墓は移動しているので墓石だけとの事でした。

宝泉寺の向かいの穴八幡宮は、享保13年(1728)に8代将軍吉宗が、世嗣の疱瘡平癒祈願のため流鏑馬を奉納したことから鳥居脇には、流鏑馬の像があります。

     穴八幡

寛永18年(1641)に宮守の庵を造るため、僧 良晶が南側の山裾を切り開いていると横穴が見つかり、中から金銅の御神像が現れたので 「穴八幡」 と称するようになったといわれています。

3代将軍家光は、この話を聞いて穴八幡を幕府の祈願所 城北の総鎮護としたというのです。

江戸時代から庶民の間で蟲封じの祈祷が有名で、明治12年(1879)には、皇太子だった大正天皇の蟲封祈祷も行ったようです。

夕方近くの1時間ほどの早稲田散策だったのですが、暑くって皆の気持ちは 「ビールを吞みた~い!!」 状態でしたよー^^;






▽コメント

 

ヒナ様
ご無沙汰しております。
ヒナさまと、品川神社の富士に登りましたね。平成23年かな。
先日もう一度あの富士山に登り、以前写真を撮り損ねた食行身禄の洞窟の写真を撮りました。5合目くらいだと思っていたら、2合目のところでした。
高田富士にもやはり、洞窟があるのでしょうか?

 

小ツルさん、そうでしたね、ご一緒に2期の方の案内で品川神社の
富士塚へ行きましたねぇ。
あの頃は、マダマダ江戸のことが分かっていなかったけど、あれから
色々学びましたので、富士塚の見方も変わりました。
高田富士の祠は、途中ではなく下にありました。
品川神社の富士塚は立派ですが、高田富士は小さいですよ。
来年登れる時期に行って見て下さい。

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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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