日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

千住で育まれた江戸文化?!

昨日は 「千住の文化と美術」 講座の最終回で 「千住と文晁の系譜」 を聴いて来ましたよ

谷文晁の父は田安徳川家の家臣で、文晁は下谷根岸で生まれています。文晁も酒井抱一も武士だったのですね。

            谷文晁 谷文晁

文晁は25歳で田安家の奥詰見習いとして出仕、寛政4年(1792)に老中松平定信の近習になります。

定信の寛政の改革は、天明7年 (1787)から寛政5年 (1793)といわれていますので、文晁は改革の最後の1年を定信の傍に居たということですね。

            定信  定信

定信は成果が上がらない改革中に突然罷免され、老中首座並びに将軍補佐の職を辞します。

老中失脚後の定信は白河藩の藩政に専念し、文化9年(1812)に家督を長男の定永に譲り隠居をしました。文晁は定信が隠居するまで定信付として仕えました。

文晁は12歳の時に狩野派を学び、その後中国の南宗画(なんしゅうが)・北宗画・大和絵・西洋画を学びます。
        
          集古十種文晁  集古十種

定信の命により、各地の古社寺や旧家の古文化財を模写・記録した 『集古十種』や『古画類聚』 を編纂・刊行します。

文晁は定信の隠居後も奥詰の地位を維持したまゝ、下谷二丁町に画塾 「写山楼」 を開き画業に専念します。「写山楼」 の弟子には渡辺崋山もいましたよ。

      古画類聚文晁 古画類聚

弟子には武士が多かったのですが、女性や百姓、商人もいたのです。

百姓の一人に武蔵国沼田村(現足立区江北)の船津徳右衛門がおり、文晁から 「文淵」 の号を授与されました。船津家には文晁の画が多く所蔵されていましたが、明治になり文淵の孫の代で古書店に手放します。

全ての資料を手放したのではなく、文晁、文淵の作品や日記類は船津家に現存し、足立区郷土博物館で解明をしているようです。

船津家に伝わる話に、文晁は西新井大師総持寺に屏風絵を制作した時、船津家から西新井大師へ通っていたというのです。

          西新井大師洋犬絵馬抱一 洋犬図絵馬

西新井大師は、昭和41年(1966)に放火に遭い本堂は焼失しますが、文晁の屏風絵と酒井抱一が八百善4代目 栗山善四郎から依頼された 「洋犬図絵馬」 は焼失を免れました。

今回の3回講座で、今まで疑問だった千住の旦那衆と江戸の文化人との交流や千住の文化レベルの高さが判り、長年の胸のつかえが下りましたよー^^






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小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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