FC2ブログ


日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

責任者は誰だ!?

最近のニュースを見ていると、徳川時代に起こったことのようですね。

兄弟の殺人は、兄の家光が同母弟の忠長を抹殺したこと、元知事の言い訳は聞いていたら、「左様せい公」 「そうせぇ公」  かとツッコミ入れたくなりましたよ。

     家綱 家綱

「左様せい公」 は、徳川家綱4代将軍ですね。家綱の父家光は男色好みで、30代に漸く側室に子が出来ます。家綱は家光が38歳で出来た跡継ぎ、家光が亡くなったときに家綱は11歳の少年でした。

病弱であった家綱は、生後すぐに脳膜炎に罹り、軽度の知的障害の後遺症があったといわれていますね。

      保科正之 保科正之

家光は自分の死期を悟ると異母弟の保科正之に 「宗家を頼みおく」 と後事を託しました。

更に、「右手は讃岐、左手は伊豆」 と酒井忠勝と松平信綱に 「殉死は許さぬ。家綱を頼む」 とし、小姓時代から自分を支えてくれた阿部忠秋を家綱の傳役(もりやく)にします。

この様に家光時代の老臣が家綱を支える体制が出来、本人は大奥でチヤホチャ甘やかされて育ちます。

17歳になり結婚をすると、大目付や目付に 「これまでは直接諸事を聞くことがなかったが、今後は直に申し出よ」 と宣言しますが、この頃は 「政務みな権臣に委任ありて」 となっていたので、家綱に申し出る者はいなかったでしょう。

家綱の性格は優しく、大人しかったこともあり、有能な幕閣の政権運営に対して 「左様せい」 と許可を与えるだけのお飾りの将軍に甘んじていたといわれています。

        家慶 家慶

「そうせぇ公」 といわれたのは12代家慶で、父の家斉が50年間将軍の地位に君臨した後大御所として45歳の家慶を後見したといわれていますよ。

文恭院殿御実紀(家斉の院号)によると家斉を 「遊王となりて数年を楽しみたまふ。嗚呼 福徳王と申し立てまつるべきかな」 艶福家の家斉への評は的を得ているような。

        家斉 家斉

家慶は50歳を目の前にして漸く家斉が亡くなったのですが、実権のないまま家臣がいうことに 「そうせぇ」 とうなずいていたことが 「そうせぇ公」 といわれた所以です。

この頃 水野忠邦の天保の改革があり、世は節約・節約と言われて全てを引き締められていました。

家慶は自室に屏風を巡らしその中へ奥医師を一人入れて、最初に座布団や衣類等のやわらかい物を投げ入れ、頭に被って待ち構えていると、掛け軸や花瓶、火鉢や硯箱と色々投げ入れ 「もうよいか、まだか」 と問い 「まだ、まぁだ」 の声があれば、屏風からあふれるほどに投げ込み、投げ込んだものを奥医師に拝領したという、たわいない遊びでストレスを発散していたという話もあります。

どちらも有能な家臣が政治運営していたからでしょうね。

ふと、昭和天皇がマッカーサーとの会談で 「全ての戦争責任を負う」 と言ったことを思い出しました。






▽コメント

 

ヒナ様
今回のブログを拝読して思ったのですが、
主君が暗愚でもほんの子供でも、「お家の為」「藩の為」という意識が強いので
家臣は能力を発揮するのではないでしょうか。
むしろトップは口を出さない方が能力発揮できるし、独裁にならない。
日曜日に江戸楽セミナーで尾張徳川家の系譜(テーマは幕末維新でしたが)についての講義を聴いてきたのですが、
10代目くらいからもう、初代藩主の血統はごく薄くなっていて、忠誠心が薄れ、加えてのひどい財政難と経済政策の失敗で、付家老たちも主君のため、藩の為に身を粉にして働くことに嫌気がさして分裂状態になった(ざっといえば、です)というような内容が含まれていました。
今渋沢栄一を読んでいて、明治政府になってからも藩閥政治が続き、「武士は金のことを言うのは恥ずかしい」と言う彼らの意識に、百姓出身の彼が苦労し続けているところ辺りにきているので、尾張の殿様の話は興味深かったです。

 

鶴ヶ島の小ツルさん、尾張藩は家斉時代にはほとんど崩壊状態
でしたよね。尾張藩は宗春時代が興味深いかと思います。
吉宗と宗春の政治が相反する手法ですよね。
田沼と定信も相反していたし、田沼と定信の出現の時代が逆だったら
幕府もだいぶ違っていたかもしれません。
歴史にIFはないけど・・・。
今回のブログでは、主君の力量を書いたのではなく、トップの責任を
問いたかったのですよ。

 

雛さま
トップ下が理不尽な責任の問われ方をする例もありますよね。
三川工事の薩摩の家老など。
「お殿様のおん為」「我が藩大事」だから当然だという意識があるのではないかと思いました。

 

鶴ヶ島の小ツルさん、私たちの終身雇用の時代は、下っ端の私でも
「我社が業界では一番良い仕事をする」「業界で一番社員思いの会社」だと思っていましたよ(会社愛??)
徳川時代の藩であれば、藩士は猶更ではないかしら。
今回は、元都知事の記者会見を皮肉ったブログなので、貴女の受取り方と書いたもののニュアンスが違うかも。

コメントの投稿

管理者にだけ表示を許可する

▽トラックバック

http://edosanpo.blog109.fc2.com/tb.php/1516-c6f08fa6

 | HOME | 

プロフィール


日向ぼっ子

Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


最近のコメント



最近の記事



カテゴリー



最近のトラックバック



月別アーカイブ



ブロとも申請フォーム


この人とブロともになる


ブログ内検索



RSSフィード



FC2カウンター



リンク


このブログをリンクに追加する