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日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

波乱万丈?!

フロリダから友人が一時帰国をしたので、4人で久しぶりに会いましたよ。面倒見が良い彼女が時々メールをくれるので、他の2人の近況を知ることが出来ているのです。

彼女の人生を見ていると波乱万丈で、いつの間にやら日本を飛び出して、英米国に住んでいます。人の一生は何が起こるか分からないものですね。

4代将軍 家綱の大老を務めた酒井忠清は 「下馬将軍」 といわれるほど絶頂を極めましたが、家綱の死亡時に嫡子が居なかったために、鎌倉時代に倣って徳川家・越前松平家とは縁続きである有栖川宮幸仁親王を宮将軍として擁立しようと画策したことで、家綱の弟の綱吉が5代将軍になると疎んじられます。

綱吉が将軍就任後に再審した 「越後騒動」 で既に死亡していた忠清も罪に問われた結果、嫡子 忠挙(ただたか)に逼塞が命じられたのです。

       酒井忠挙(ただたか) 酒井忠挙

忠挙から4代後の忠恭は前橋から姫路に転封され、漸く老中に復帰が叶いますが、忠清時代の家格が全て戻った分けではありませんでした。

姫路4代目の忠学(ただのり)と11代将軍 家斉の第45子喜代姫との縁談が調い、家格を復活させることに成功します。

その時の酒井家家老 河合隼之介が幕府老中水野忠成(ただあきら)に 「現在は忠清時代のお咎めを受けた家格なので、罪科のままで将軍家の御縁辺なるは失礼である。全て以前のように再興してこそ家康公への忠義です」 と云い、水野は感心させられたのですね。

       河合隼之介(寸翁) 河合隼之助

隼之介は水野に取次を願うために忠成の右腕といわれた家老 土方縫殿介に江戸で有名だった酒問屋 豊島屋の焼き印が付いた剣菱の吞口10本を贈ります。

吞口とは、酒樽の下方にある樽から御酒を出すときに使う木製の管で、持参すれば呑みたいだけ御酒と交換できるので、樽で貰うより便利だったようです。

隼之介と縫殿介と二本松藩の丹羽久米之介の3人は名家老 「三介」 と称されていましたよ。

        姫路城 姫路城

酒井家では姫路に転封してから毎年阿波の海で捕れた 「姫路鯛」 を将軍に献上していました。

隼之介は 「姫路鯛」 と称する上には、阿波の海でなく姫路の海のものであるとして、姫路の漁師が運上金を阿波に払って漁をして来たのが、姫路の海なら逆ではないかと訴えました。

隼之介は幕閣や役人に賄賂を贈ってから訴えたのでお裁きは姫路の勝ちとなり、藩の収入が増えたという話もあります。

この話を書き残した幕末の岡谷繁実は、当時の亀鑑(手本・模範)といわれる人物を判断するのに、今の基準を持って来てはいけないと書いています。

歴史は全て今の基準で見ては、いけないですよね。





歴史の中に?!

少し前に 江戸博の特別展 「江戸の街道をゆく~将軍と姫君の旅路~」 を見て来ましたよ

       パンフレット

3代将軍 家光の日光社参や、12代家慶の正室となった楽宮(サザノミヤ)下向絵巻などの絵巻や浮世絵が多く、目を引いたのは梨地金蒔絵の刀入れと篤姫所用の油単でした。

油単は布や紙に桐油ひいたもので、湿気や汚れを防ぐために長持ちを覆うものです。

  駕籠 駕籠1

将軍の正室 御台所は、3代以降天皇家か公家の姫君で、中山道を下向して来ました。

逆に、2代将軍秀忠の娘 和子(まさこ)は後水尾天皇に入内し中宮に冊立され、紫衣事件で突然 後水尾天皇が譲位をしたために、娘の興子内親王が明正天皇となっています。

東福門院となった和子は、朝廷と幕府の懸け橋になったといわれていますね。

  書状 参勤交代願い書

民間から皇后になった最初は、奈良時代の藤原不比等と橘美千代の娘 光明子で、光明皇后は千人施浴から、慈悲深い皇后であったと語られます。

平成の皇后も民間出身で、天皇と共に第二次世界大戦の懺悔の旅を続けられましたが、新天皇のトランプ大統領の晩餐会のお言葉はペリー来航から語り、戦争を意識しながらも両国民が困難を乗り越えたとして、新しい時代へ進む感じが見えるようでしたし、令和の皇后も品格と聡明さが際立って、絶賛されていますね。

          家康像 江戸博にある家康像

愚かな戦争を忘れてはならないのですが、拘るばかりも違うと思うのです。

でも、特攻隊は学徒兵や少年兵が多かったことや、計画性のない計画で多くの犠牲を出した当事者が、戦後を生き延びたことは何故なのか知っておく必要はあると思うのです。

特攻の犠牲者は4千人といわれていて、7割が学徒兵と少年飛行兵でした。指導部にいた軍人は戦後に 「一人の軍人を作るのに多額の費用が掛かる。学徒兵たちはお金が掛かっていないから特攻に出陣させた」 というのです。

特攻機が敵艦上空にへ行く前に墜落したのは、飛行機の不備だけでなく、多くの特攻兵が恐怖に怯え泣きわめき、気絶や失禁し、まともな操縦が出来なかったとの証言もあります。

整備兵だった人は、出撃命令を受けた者は飛行機までのわずかな距離も歩けず、身体がよろけたり、座り込みそうになる者の身体を支え、操縦席に誘導したというのです。

特攻兵同士は 「今度生まれる時はアメリカに生まれるぞ」 と話し、最後の無線では 「海軍の馬鹿野郎」 と云って散華したと記録されています。

戦争に勝つには精神力だと東条は言い続け、兵站が難しいと反対されたインパール作戦を決行した牟田口廉也は、昭和41年(1966)77歳まで生き延び 「インパールの失敗は自分のせいではない、部下の無能さで失敗した」 と主張していたのですよ。

歴史を見ると様々な場面が、現代と置き換えて見ることが出来るのではないでしょうか。





上品上生、五劫思惟はほど遠く?!

昨日の江戸あいとは、九品仏と等々力渓谷へ行きましたよ。千住からだと世田谷は遠~い!

  前菜 前菜1

ランチは自由が丘の 「杜若」 このお店ネットで探したのですが、美味しくお値段以上で良かったですね。

  刺身 海老シンジョ

11時半に入店したので、13時には終わるかと思っていたら、丁寧なお料理の提供で30分程予定超過になりましたよ。

お店から九品仏浄真寺まで歩きました。

上品下生 上品上生 上品中生
  上品下生             上品上生             上品中生

「九品仏」 は9体の阿弥陀如来像が上品(じょうぼん)・中品(ちゅうぼん)・下品(げぼん)の三階位とされ、更に上生(じょうしょう)・中生(ちゅうしょう)・下生(げしょう)に分けて、上品堂・中品堂・下品堂に3体づゝ安置されています。

         印相 印相

阿弥陀仏の印相(手の形)によって、上生・中生・下生を現しています。

本堂も開かれていて、おびんずる様が鎮座されていて、撫でた所が治るといわれているので腰と膝を撫でましたよ。

その後ろには五劫思惟像があり、す~さんの説明によると 「長い時間思惟をこらした結果、阿弥陀仏の螺髪(らほつ)髪が伸びて頭が大きくなった」 と云うのです。

五劫思惟阿弥陀仏は、全国で16体ほどしか見られないといわれています。

         五劫思惟像 五劫思惟像 

落語の 「寿限無寿限無 五劫のすり切れ」 はここからきているのだそうですが、今まで 「ごこうのすり切れ」 の 「ごこう」 が 「五劫」 だとは知りませんでしたよ^^;

今回参加出来なかったギーガさんと忠左衛門さんのメール説明によると、浄真寺は世田谷吉良氏の家臣 大平清九郎の居館と伝えられ、天正18年(1590)の廃城後、延宝6年(1678)に浄真寺として開山されましたので、周辺には城跡の名残の土塁が残っていましたね。

城郭・仏像・落語と江戸検1級保持者の集まりも10年近くになって、各々得意分野に秀でて色々説明して貰えるので、散策知識が深まります。

浄真寺から東急大井町線で等々力駅へ、駅から少し歩いて階段を降りると、住宅街から急に山の中に入ったような等々力渓谷です。

狭い道を多くの人が行き交っていました。

         横穴 横穴

途中の横穴を見に行くと、古代の有力農民が埋葬された墓で、玄室には河原石が敷かれ、3体の人骨と耳環と土器が埋葬されていたそうです。前面の斜面の墓道に土器が供えられていて、火のたかれた跡があったと説明版には書かれていました。

等々力渓谷から自由が丘に戻っていつものチェーン店で、今回はお酒を呑むメンバーが少なかったけど、いつものように面白おかしく最後を締めくくりましたよー






歴史の中に解答がある?!

30代の国会議員の戦争で北方四島を取り返すで感じたのは、昭和という時代は歴史になったのねでした。現代 日本人の大半は戦争を知らない世代です。

20年前20代の同僚たちに 「銃後の守りね」 と言ったとき、彼らが一応に 「十五歳が処女を守ること」 と答えたのに驚いたことを思い出しますよ。

今の若者にとっての戦争はゲームの中の出来事なのか、議員として歴史を学んでないのか、想像力がお粗末なのか?

            続昭和の怪物

保坂正康著 『続 昭和の怪物 七つの謎』 で 「昭和という時代が同時代史から歴史に移行して行く時、これまでの解釈や見方が変わることは充分にありうる。

同時代史の中では、戦争反対の意味は皮膚感覚になっているから、共鳴・共感を得ることが出来るが、歴史の視点で見るとその皮膚感覚は想像力に移っていく。従って想像力が欠如していたり、知識として戦争の本質を見抜けない者は、実にあっさりと武力行使を容認してしまう」 と書いています。

大正3年(1914)生まれの後藤田正晴は護憲の政治家といわれました。 「戦争のあの愚劣さは、決して繰り返してはならない。もう二度とあのような体験はしたくない」 と語っていました。

            後藤田正晴 後藤田正晴

集団的自衛権や自衛隊の海外派遣についても 「戦争を知らない世代になれば、自衛隊派遣が当然という時代になるだろうな」 とつぶやき、海上自衛隊の派遣法案が提出されても、私は決して署名しないとの信念を持っていたというのです。

大正7年(1918)生まれの田中角栄も戦争を嫌悪していましたね。田中は二等兵としてソ満国境付近にに配備されますが、肺炎になり内地に戻されます。

戦後 田中の支持者は 「決して戦争をしない政治家だ。軍隊の胡散臭さを見抜いた者だけに通じる戦争観が感じられる」 「こんなところで死んでたまるか、と思った我々と同じ立場だったとわかる。だから彼を支持しているんだ」 語っていました。

大正生まれの世代は、太平洋戦争では20代で戦場に赴き、軍や上官から理不尽な仕業にあったでしょう。殺戮や殺される恐怖も味わい人間としての尊厳を失ったことを想像するのは難くないことです。

戦争を体験した人たち後藤田や田中らの共通の感情だったのでしょうね。

「日本の道を誤らせるのは『人間』を生身で見ることのない連中に政権を託すことだ」 と言ったのは池田勇人の秘書をしていた伊藤昌哉でした。

伊藤は 「日本の国民は政治に未熟だ。良しと思えば簡単に信じ込み、悪しとなるととことん非難する。右に左に付和雷同して揺れ動くのはどうしてだろう。国民を動かすのは簡単な戦略を用いるだけでよく、いずれ自在に操れる存在になりうると権力者は思っているのではないか」 と指摘しています。

戦争のはじめには、軍部・政府はメディアを使い、それに踊らされた庶民大衆も戦争を迎合します。

ヒナは、東条英機の戦陣訓を許すことが出来ない。 「生きて虜囚の辱めを受けず」 これによって、真面目な多くの国民が自決したことか、当の本人はGHQへの出頭前に自決に失敗したくせに。

後藤田は政治家として難問にぶつかると必ず歴史上の出来事を想定して考えを煮詰めたという 「歴史の中に解答はある」 というのが信念のようだと、保阪は見ていたようです。




ヤルタ会談?!

戦争で北方四島を取り戻す発言に怒りを覚えましたよ。戦争を知らない者が、戦争で苦しんだ人に対してする質問ではない。

ヒナの学校の頃の歴史は、明治以降は時間切れで駆け足で終わらせていましたが、現代でも同じなのでしょうか?

先の戦争が何故起こったのか?どの様な形で終戦になったのか?

戦後 日本では戦争の総括をすることなく歴史を曖昧にしてしまったのは、国民性なのか?GHQの指令だったのか?

          ヤルタ会談 ヤルタ会談

1945年2月 米国・英国・ソ連のルーズベルト・チャーチル・スターリンは、クリミア半島のヤルタで第二次世界大戦の戦後処理について話し合います。

ルーズベルトとスターリンは、チャーチルを外した会談で、日ソ中立条約を破棄して対日参戦の条件として、日露戦争で奪われたとする南樺太の返還と千島列島割譲の密約を交わします。

旧ソ連領でない千島列島の割譲は、大西洋憲章やカイロ宣言で禁じられていた領土拡大に該当することが分かっていたスターリンは、北方四島が含まれることを曖昧にしていていたといわれています。

戦後 ソ連は北海道の割譲までも要求してトルーマンから拒否されますね。

ヤルタ会談はスターリンの思う壺になるのですが、この時米国では原爆が完成しておらず、ルーズベルトは本土上陸で50万人の犠牲と対日戦が1947年まで続くと想定していたので、ソ連の参戦を望んでいたのです。

更に、この時ルーズベルトは脳梗塞に苦しんでいたことや、側近に共産主義者がいたとの話もあります。

ハリマン駐ソ米国大使から合意の再考を促されたルーズベルトは 「ロシアが対日戦の助っ人になる利益に比べれば、千島は小さな問題だ」 と言い切ったともいわれています。

同じ頃 日本ではソ連を仲介として終戦にする案が浮上していたのですね。

全く世界情勢を理解していなかった日本政府と軍部、大局を見る者がいなかったか?
軍部は最後の一兵まで戦うを言として、日本の消滅を良しとしていたのか?

日中戦争から米国戦を指揮したのは、明治維新から三世代目、今回の馬鹿な質問をした議員も戦後の三世代目に当たることを思うと、敗戦を語り継ぎ、教えて行かなければならないと思ってしまいました。






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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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