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日向ぼっ子の大江戸散歩

現代のルーツ江戸を学んで今を探る

坂と庚申塔の町?!

昨日は今年初めての江戸あいとで、目黒雅叙園の中華ランチと百段階段のお雛様鑑賞でした。 お鈴さんの高島屋友の会優遇で、通常よりお得価格で愉しむことが出来ましたよー

     お雛様

お雛様の鑑賞後は、幕末の七卿落ちの一人 東久世通禧と儒者 松崎慊堂の墓所がある長泉院から、権之助坂を開削した菅沼権之助の墓所を通って祐天寺へ歩きました。

  ふかひれ  ワンタン麵
   蟹味噌あんかけフカヒレの茶碗蒸し             〆のワンタン麵
 
長泉院の手前の坂は十七が坂といわれ、若旦那の説明ではこの坂が目黒では急な坂の一つで斜度11.5度、距離はさほどないので大変な登り坂ではなかったです。

目黒は坂と庚申塔が多い町ですが、坂は地形として、庚申塔は大山道などの街道があったからなのか?信仰心の篤い農民が多かったからなのか?理由を知っている方がいたら教えて下さい!

        東久世通嘉 東久世通禧

長泉院の東久世通禧の墓は亀趺に鎮座していて、伯爵と墓石に刻まれていましたが明治になってから活躍が見られなかったのですね。

菅沼権之助の墓所は新しいものになっていましたが、周辺に墓所を管理するお寺はなく、多くの墓と共に墓所だけというのも何故と思いましたし、途中に個人所有と思われる同名の墓所などもある土地をはじめて知りました。

        鐘楼 鐘楼

祐天寺には裏道から参拝、5代綱吉の養女竹姫寄進の阿弥陀堂や6代家宣の正室天英院寄進の鐘楼と、現代でも祐天寺内は広域ですね。

お寺の方に崇源院の御霊屋宮殿の公開を訊ねると、年に1度位はあるようです。こちらで拝見すると江戸博で数年前に展示された時と感じ方が違うとのお話でした。

        念仏堂 阿弥陀堂

門前で、祐天寺駅から帰る人達と別れて中目黒駅へ向かう途中にギーガさんが教えてくれた正覚寺があり、歌舞伎 「先代萩」の政岡のモデルとなった仙台伊達家4代藩主綱村の生母である三沢初子の像がありました。

帰り際に南無妙法蓮華経と刻まれえた天保年間の亀趺の墓石があり、どなたなのか名前は刻まれていませんでしたが、亀趺墓研究家の遊さんは東久世通禧のものと合わせて大歓喜でした。

中目黒では、いつものチェーン店で、いつもの二次会、面白可笑しい今年初の江戸話で終わりました。





しつけ  虐待?!

大雪予報に反して雪は小康状態で、ちょっと安心。

とても悲しい子供への虐待事件が続いてますが、大人になり切れない者が親になるからなのでしょうかね。

女性は出産という身体的経験で子として認識できるのですが、父というのは一緒にいる時間の長さや共有する経験の多さによって個体同士の絆、愛着が少しづつ醸成されるのだそうです。

動物では子殺しは一般的だそうですが、親殺しは霊長類では珍しいといわれていますよ。

          斎藤義龍 斎藤義龍

戦国時代美濃の斎藤義龍や伊達政宗は、父親を殺していますね。

義龍の母 深芳野は、土岐頼芸から斎藤道三に下賜され側室となりますが、拝領前に頼芸の子を身籠っていたという説がありますねぇ。

道三は義龍にそんな疑いを持っていたのかも知れません。

義龍は道三が溺愛していた弟たちを殺害後、長良川で道三と戦いなぶり殺しにします。

          斎藤道三1 斎藤道三

義龍の兵1万7千、道三は2千7百という圧倒的兵力の差もありましたが、道三は耳を削がれ、身体を斬り刻まれという惨殺のされ方をします。

父子だからの所業か、積年疎まれ続けた恨みからなのか、義龍は道三を殺した後に斎藤の苗字を捨てて母方の一色姓を名乗ったそうです。

自分が一色を名乗っただけでなく、四人の重臣にも一色家にゆかりのある 「延永」 「伊賀」 「氏家」 「成吉」 を名乗らせます。

伊達政宗の父親殺しは、憎しみではなく敵に拉致された父を敵もろとも撃ち殺すことになってしまいます。

父 輝宗は 「俺にかまうな」 「俺もろとも撃て」 と言ったとも云われていますし、輝宗は政宗の才能を認め期待をしていたようですね。

父より母の方が政宗に対する愛情が希薄だったようで、母は政宗の弟を可愛がっていたと云われています。

親も子もない、兄弟も敵だといわれた戦国時代でも堂々と父を殺したのは義龍だけで、政宗はお家のために父を殺さざるを得なかったのかも知れません。

現代ならば、父親になるためには育休を取って、生まれた子と接触を多くすることで親子の絆が生まれるそうですよ。







精神分析に見る武将たち?!

京都の有名大学の学生が女性を260人余も風俗に斡旋して、女性が働いた額の15%を継続的に得ていたという、江戸時代の女衒より酷いことをする事件に驚きましたよ。

二十歳そこそこの若者が欲のために何でもやるという考えは、どこから出て来るのでしょう。

『戦国武将の精神分析』 という本を読んでいました。

          戦国武将の精神分析

「外見が魅力的でナルシスティック、恐怖や不安を感じにくい、人の躊躇することを平然と行う、他人に対して共感性が低い」 というのがサイコパス=反社会性パーソナル障害の正確な定義なのですね。

サイコパスに対してソシオパスがあり、サイコパスは先天的なもので、ソシオパスは環境要因によって形成される後天的な利己主義者だと知りました。

織田信長がサイコパスかソシオパスかを知るには、美的センスなのだそうです。

信長は茶道具に対して、美を感じ取っていたのか、ただ利用できるものは利用しようとしていたのか?

家康は社会的・表面的な人格を意図的に作っていて、家の継続のためには子供を一度でも産んだ女性の方が効率が良いという考えから若い時は熟女を好み、晩年は自分の欲望から若い娘を好んだのではないかと分析しています。

有名な戦国武将を分析しているだけでなく、松永久秀・豊臣秀次・細川忠興・島津忠恒などマイナーな戦国武将も分析しながら現代人を対比させていて、今までの歴史に関する見方とちょっと違い中々面白いと思いました。






努力する者と狡猾な輩?!

大坂ナオミちゃん、素晴らしかった。昨夜の決勝は、見応えがありましたねぇ。勝利を手元に手繰り寄せたはずの第2セットでの失速ときは 「パニックだった」 とご本人の弁、第3セットは見事に立て直しました。

ナオミちゃんと同世代で、スポーツジムのスッタフから仕事が面倒くさいと聞かされましたよ。いつの時代も努力を惜しまない者と安楽にお金を得たいと考える若者がいますね。

フリーターの身で皇室の女性に結婚を申し込んだ彼も、安直な仕事と将来を考えない行き当たりばったりの生き方が見えてしまいます。

奈良時代の弓削道鏡は、孝謙上皇が病の時に道鏡の祈祷で完治したことから、女帝の寵を受けることになりました。淳仁天皇はこれを良しとせず、意見を述べたために孝謙上皇と不仲になってしまいます。

        孝謙天皇 孝謙上皇(称徳天皇)

淳仁天皇は藤原仲麻呂(恵美押勝)が後見であったことから、仲麻呂の乱で仲麻呂が失脚すると、孝謙上皇から廃帝され淡路島に流されました。

孝謙上皇(称徳天皇)は重祚し、称徳天皇の命により淳仁天皇は殺害され、称徳天皇の意向により天皇として認められませんでした。

明治になり明治天皇よって 「淳仁天皇」 の諡号が贈られました。

敵対するものが居なくなった道鏡は、宇佐八幡宮のご神託で 「道鏡を天皇に付ければ天下は泰平になる」 とあったと伝えられると、称徳天皇は側近の尼僧 和気広虫に確認させようとしたのですが虚弱な尼僧では長旅は無理と思い、弟の清麻呂を宇佐八幡宮神託の確認に行かせることにするのです。

          皇国24功 皇国24功 「和気清麻呂公」

清麻呂は 「天皇は必ず帝の氏でなければならない。道鏡は良くない」 とのご神託であったことを報告すると、天皇の怒りをかい九州へ流罪にされます。

流罪の途中で道鏡に暗殺される直前、急に雷雨が起こり企ては失敗となります。

翌年 称徳天皇が崩御し道鏡は失脚となり、清麻呂は京に戻り官位も復活することになりました。

敗戦後 天皇支持率は国民の90%と云われていましたが、フリーターの彼との結婚が実現すれば、天皇廃止との声も出て来そうなネットのコメントが多く見受けられますよ。

お金の返却をする、しないではなく、彼の人間性が問われているのです。無垢な女性に、下心持って寄ってくれば・・・でしょうかね。






國語という言葉?!

前々回のブログで旧仮名遣いで 「恋(こひ)」 の 「ひ」 の読みはどうだったのかと書きましたが、先週おもしろい本を見つけましたよ。

私たち戦後生まれは現代仮名遣いを習ってきましたが、歴史的かなづかひと現代仮名遣いの論争があるのですね。

            私の國語教室

明治時代から国語を英語にしようと云い出したのは、初代文部大臣になった森有礼、敗戦直後には尾崎行雄が主張し、志賀直哉はフランス語に変えようと云ったといわれています。

国語とは何だろうと考えたとき、歴史と国語はその国に生きる人々のアイデンティティだと思うのですね。

明治・大正時代から歴史的に使われて来た仮名遣いを変えようとする動きが文部省から何回か提唱されたのですが、その度に当時の文学者や作家など文字を生業とした人々の判断で変えることの欠陥が指摘されたのです。

しかし敗戦後の昭和21年11月16日に現代仮名遣いと当用漢字が制定されました。

一つには占領国米国が日本語は難し過ぎるので易しくしろとのGHQ命令があったとも云われています。

戦後教育を受けた私たちは、旧字も旧仮名遣いも教えられなかった故に、古文書を読むのが難解になってしまいました。

「お」「を」 「い」「ゐ」「ひ」 「じ」「ぢ」 「ず」「づ」 の使い分けも出来なくなってしまいました。

福田恒存著 『私の國語教室』 は現代仮名遣いの不備と、歴史的かなづかひの意味が旧字と旧仮名遣いで書かれています。

偶に、読めない旧字や意味が分からない字があるのですが、スマホで調べると出て来ます。PCの発達によって、現代仮名遣いを提唱していた人も旧仮名遣い、旧字で良かったのではないかと持論を変えて来ているようです。

戦後70数年を経ても敗戦の後遺症は続いていますが、歴史や國語は取り戻すべきだと考えますよ。






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Author:日向ぼっ子
小千住生まれ、大千住育ち 江戸が大好きなおきゃんな中年増で~す。
江戸文化歴史検定1級取得


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